益子焼 ましこやき 〔栃木県〕

栃木県芳賀郡益子町周辺を産地とする陶器。
江戸時代末期、嘉永年間に常陸国笠間藩(現笠間市)で修行した大塚啓三郎が益子に窯を築いたことにより始まったとされ、以来、優れた陶土を産出すること、大市場東京に近いことから、鉢、水がめ、土瓶など日用の道具の産地として発展をとげた。
若手からベテランまでここに窯を構える陶芸家も多く、その作風は多種多様。春と秋には陶器市が開かれ、500を越える店舗が出て賑わう。

益子陶器市(益子町観光協会)

[窯元・作家LINK]
芒窯(相澤博、相澤美樹、相澤かなえ、相澤なみほ)
AGO PAIX LABO
大高正希
岡本芳久
川崎萠
川尻琢也
坂下花子
佐々木康弘
庄司千晶
鈴木稔
玉木一将
東峯未央
中村かりん
松崎麗
水上窯(水上吉則)
村澤陶苑(村澤浩、村澤亨)
村田亜希
濱田窯(濱田晋作、濱田友緒)
よしざわ窯
和田由記子

[取扱店・作品]







笠間の陶炎祭(ひまつり)〔茨城県イベント〕

毎年4月29日〜5月5日に笠間芸術の森公園イベント広場で開催される茨城県下最大のイベント。
200軒以上の陶芸家・窯元・地元販売店などが、広大で緑豊かな笠間芸術の森公園イベント広場に集う陶器の祭典。
2014年には第33回を数える。

笠間の陶炎祭

JR常磐線友部駅またはJR水戸線笠間駅で下車。
笠間駅から臨時バス(陶炎祭期間中運行)、かさま観光周遊バス、レンタサイクルの利用が可能。(徒歩約30分)
友部駅からは、シャトルバス、かさま観光周遊バスの利用が可能。
»アクセス方法詳細

笠間芸術の森公園(茨城県笠間市笠間2345)

笠間焼 かさまやき 〔茨城県〕

江戸時代の安永年間(1772〜1781年)、箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が、信楽の陶工・長石衛門の指導で焼き物を始め築窯したのが始まり。明治に入っても、笠間は19の窯元を数える厨房用粗陶器の産地として知られていた。
しかし終戦後、生活様式の変化により陶器需要の減少に直面。厨房用粗陶器から工芸陶器へ転換をはかるとともに、釉薬の改良や原料となる粘土の研究、陶工の養成などを行うことで復興を果たした。
現在では300人近い陶芸作家や窯元のいる窯業産地となり、益子と並ぶ大きな窯業産地として知られている。
春に行われる陶炎祭(ひまつり)や秋に行われる笠間浪漫(旧・匠のまつり)などの陶器市の時期には、多くの観光客が足を運ぶ。

笠間焼協同組合
笠間の陶炎祭(ひまつり)

[窯元・作家LINK]
東香織
阿部慎太郎
今井梨絵
伊藤アトリエ(伊藤公象)
伊藤陶房 伊藤東彦
大津晃窯(大津廣司、大津晃一、)
WAKI工房(大脇歩)
月下窯(米出 康人、岡の ともこ)
OZ.FACTORY(小堤晶子、小堤均)
甲斐陶房(甲斐孝生、IKU)
梶谷胖陶房(梶谷胖)
川口陶房(川口聡一)
菊地弘
来寿窯(北川隆夫)
河野陶房(河野 章、河野 カイ、さとう ともこ)
玄眇窯(小暮雅一)
駒澤博司
CRAFT BORO×BORO(横田篤徳、小坂裕美)
小林理恵
近藤文
向山窯(増渕浩二、安部秀樹、長嶺憲幸、小林哲也、田村俊介、ジェレミー エンプソン、益子大貴)
酒井陶房(酒井 敦志之、酒井 一臣、会澤 里美)
きのみの(會澤さとみ)
陶磁器工房Atelier Zum Tal(鈴木美汐)
東風舎(須藤茂夫、須藤陽子、須藤忠隆)
高野陶房(高野利明)
寺本守
中村富夫
グラハム工房(グラハム マクアリスタ)
なおり工房(我妻なおり)
八十島窯(八十島 雅樹、八十島 八重子)
山路陶房(山路和夫、山路寿子)

[取扱店/作品]





田島万古焼 たじまばんこやき 〔福島県〕

江戸時代末期の弘化2年(1854年)には陶工を城中に招き窯を築き、田島独特の製陶法を生み出し、「鴫山萬古(しぎやまばんこ)」と名付けたのが始まり。
「鴫」の字を分解し、「萬古」の文字も簡単にして「田島万古」といわれるようになった。
戦争、その他の影響で途絶えていたのを復活させ、 昭和48年 田島万古焼復活組合発足。「田島万古焼 勝三窯」(たじまばんこやき かつぞうがま)として作陶開始した。

色合いや器型に素朴な味わいがあり、使うほどに艶が出る。
木型を使って成形された器面には「手びねり」の指痕がつけられており、薄く精巧に仕上げられている。
また、器の表面に配された蛙の文様が特徴的。この蛙には「無事かえる」等の意味合いがある。
振ると音がするサイコロ入りの急須も人気が高い。

田島万古焼 勝三窯

[取扱店]
47club

二本松萬古焼・二本松焼〔福島県〕

二本松万古焼
嘉永6年(1853年)二本松藩主が、京都から陶工を呼びよせ、下級武士の副業として教えたのが製作の開始と伝えられる。
独自の製法(手ひねり型くずし製法)で地元の粘土を使って作られる。焼〆(やきしめ)にて、自然に出る色合いが特徴。

二本松焼
二本松藩の日用品として始まる。「ふすべ焼」といわれたことも。
途絶えていたのを、昭和54年に二代目・善夫が復活し、食器を中心に製作している。
日用品を中心に釉を使って作る。

窯元・井上窯

[陶芸体験]井上窯(福島県二本松市)(粘土で作るコース、絵付けコース)

相馬駒焼 そうまこまやき 〔福島県〕

福島県相馬地方に産する陶器。相馬焼。
ひびと馬の絵が特徴であり、それ故に「駒焼」とも呼ばれている。
1648年(慶安元年)、京都の仁清のもとで修行した陶芸家、田代源吾右衛門(のちに清治右衛門と改名)が相馬郡中村(現相馬市)に開窯。
以後、相馬藩の御用窯として手厚く保護された後、現代に至る。
窯元は田代窯の一軒のみ。
登り窯は東北地方に類を見ない古窯であり、現役の登窯としては日本最古の窯であるが、震災により損壊を受け、行政による修復の道筋が示されたところだという(2014年9月現在)。

相馬駒焼 窯元 田代清治右衛門

会津慶山焼 あいづけいざんやき 〔福島県〕

福島県会津若松市で焼かれる陶器。
文禄元年、当時の藩主であった蒲生氏郷が、若松城の前身である黒川城に屋根瓦をふく際、唐津から陶工を招いて焼かせたのが始まりといわれる。
近代に入り、慶山焼は瓦、れんが、土管などの大がかりな資材を焼く一方で、ねり鉢や丼鉢、植木鉢、茶器、日常生活に欠かせない焼き物全般を制作していたが、戦後まもなくに途絶えた。
現在の会津慶山焼は、1974年に窯元「香山」(現・やま陶)が復興させたもの。
“伝統”を受け継ぎながらも、“用即美”の精神で、今の世の日常使いにも適した新しい造形に、日々挑戦し続けている。
平成9年に福島県から県の伝統的工芸品に指定されている。

会津慶山焼

[陶芸体験]会津慶山焼(福島県会津若松市)(手びねり・絵付け)

会津本郷焼 あいづほんごうやき 〔福島県〕

文禄二年(1593年)に領主である蒲生氏郷が薩摩国から瓦工を呼んで鶴ヶ城の屋根瓦を製造させたのが始まりとされる。
正保二年(1645年)藩主の保科正之の求めに応じて瀬戸から陶工・水野源左衛門を召し抱え、本格的に焼き物の基礎を築いた。
寛政12年(1800年)に白磁の製法を開発し、現在の会津本郷焼の原型を完成させた。
1993年には通商産業省(現在の経済産業省)から、伝統的工芸品産地として指定された。

本郷焼窯元マップ

[窯元/陶芸体験]
・陶房 彩里(手びねり・絵付け・ろくろ体験可)
・陶雅 陶楽(手びねり体験可)
・かやの窯
閑山窯(手びねり体験可)
樹ノ音工房(手びねり・絵付け・ろくろ体験可)
・玉山窯(手びねり体験可)
・錦宝窯
・酔月窯(手びねり・絵付け体験可)
草春窯(手びねり・絵付け体験可)
・力窯(手びねり・絵付け体験可)
・富三窯 (手びねり体験可)
・鳳山窯(手びねり・絵付け体験可)
宗像窯
流紋焼(手びねり・絵付け体験可)

[取扱店/作品]

大堀相馬焼 おおぼりそうまやき 〔福島県〕

福島県双葉郡浪江町大字大堀一円で生産される焼物。
旧藩政時代には「相馬焼」と呼称していたが、1978年に国の伝統的工芸品の指定を受けて以来、産地名を入れて「大堀相馬焼」となった。
原発事故により避難を余儀なくされ産地での作陶ができず営業停止になったが、二本松市の協力を得て二本松市小沢工業団地に「陶芸の杜 おおぼり 二本松工房」として再開。
その後、釉薬の原料となる砥山石が原発事故の放射能汚染により採掘不可能となり、窯元が廃業の危機に見舞われたが、砥山石と同じ発色をする釉薬を開発、生産を続けている。

陶芸の杜 おおぼり 二本松工房

[陶芸体験]陶芸の杜おおぼり 二本松工房(大堀相馬焼協同組合/福島県二本松市)(手びねり、絵付け)

[取扱店/作品]
大堀相馬焼 松永窯


  

碁点焼 ごてんやき 〔山形県〕

化粧土による、深い藍色の彩色が特徴。
一般的な焼き物は『成形→素焼き→釉薬&模様付け→本焼き』の四段階工程が主だが、泥彩の場合は『成形→化粧土を施す→削る&模様付け→素焼き→透明釉薬を施す→本焼き』という六段階工程をとる。
非常に手間がかかるが、釉薬だけでは得られない個性的な色彩を生み出すことができる。

[作家]鈴木 陶修、鈴木 いく子

[取扱店]陶修窯碁点焼 オンラインショップ

[陶芸体験]陶修窯碁点焼(山形県村山市)(手びねり、絵付け、電動ろくろ、出張教室も)

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