陶磁器向けデルタ型3Dプリンタ「3D PotterBot」

「3D PotterBot」は米フロリダ州パームシティに本拠を置くDELTABOTSが開発した陶磁器専用のデルタ型3Dプリンタ。大量の粘土であっても水を混合する必要はなく、安定した正確な造形が可能という。

最大で直径165×高さ419mmまでの作品が造形可能。ノズル径は4種類(3.5mm、4mm、5mm、6.5mm)が付属しており、作品に合わせて交換できる。価格は2950ドル(約35万円)。

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無名異焼 むみょういやき 〔新潟県〕

文政2年(1819年)、伊藤甚平が佐渡金山の坑内で産する「無名異」とよばれる酸化鉄を含む鉱物を陶土に用い、楽焼を製造したことに始まる。安政4年(1857年)に伊藤富太郎がその無名異で本焼を始めた。
その後、三浦常山が、従来の質のもろい無名異焼を中国の宜興(ぎこう)窯の朱紫泥と同様な堅牢な焼物にしようと努力を重ね、高火度の朱紫泥焼を完成させた。
成型から乾燥まで約30%も収縮するため、製品は非常に硬く、たたくと澄んだ金属音を発し、使用するに従って光沢を増す。

[窯元 LINK]
無名異焼 玉堂窯元
佐渡無名異焼窯元 紫雲堂 玉山
無名異焼 窯元 北沢窯

今戸焼 いまどやき 〔東京都〕

東京都台東区浅草今戸や橋場とその周辺で江戸時代初期(1690年頃)以後、町作りに必要な瓦、土器などの生産を主として作られ始めた。瓦、日常生活道具、土人形(今戸人形)などが作られたが、明治期にはほぼ廃絶。
関東大震災後、いくつかの人形の型が発掘され、再び製作が行われたが、代用瓦や土器の生産が向上してきたことや、都市部の中心で火を用いる作業が困難になり、ゆっくりと衰退していく。
そんな折り、ある職人の家屋の移転工事の最中に数多くの今戸人形が掘り出されたのを機に、今戸に唯一残って焼き物を製作していた白井孝一家が人形づくりも請け負うようになった。現在は孫の白井裕一郎氏がその意志を継いでいる。
また、吉田義和氏が、今戸焼きの丸〆猫を復刻。古き良き時代の江戸東京の土人形の再現を目指しているという。

東京の土人形 今戸焼?!今戸人形? いまどき人形(吉田義和)

飯能焼 はんのうやき 〔埼玉県〕

江戸時代後期、矢颪窯・白子窯・原窯などの窯(いずれも創業・廃窯時期は不明)で地元の陶土を使い、素朴ながら技術的に優れた陶器を焼いていたが、原窯を最後にその姿も途絶え、「幻の飯能焼」と言われるようになった。
昭和50年に虎澤英雄氏が再興。作品は飯能焼伝統の灰釉に白絵土によるイッチン描きから青磁、白磁、志野、楽、織部、絵付け等、幅広くに及ぶ。
また、昭和58年に岸道生氏が開窯し、地元の陶土を使うことにより土の特性が薬や形に現れ自然と特徴が出てくるとの思いからそれを「純飯能焼」、古い時代の飯能焼を「古飯能焼」と表現している。

【窯元・作家】
飯能焼 武州飯能窯(虎澤英雄)
純飯能焼窯元 破草鞋窯(岸道生)

【取扱店】
岸道生・破草鞋窯

月夜野焼 つきよのやき 〔群馬県〕

昭和50年(1975年)、二代目・福田祐太郎氏が、群馬県利根郡月夜野町(現みなかみ町)の上越新幹線工事現場から排出された削除土が陶土になることを発見したのが始まり。
その後、奥利根下に優れた陶器質陶石の存在も確認、これらの陶土および陶磁石を使い、独自の釉薬で焼成したものが現在の「月夜野焼」とよばれている。
赤い発色の銅紅釉辰砂と、緑青のような肌合いを出す青銅釉焼成が特徴。

月夜野焼web(祐太郎窯)

自性寺焼 じしょうじやき 〔群馬県〕

自然豊かな安中市秋間地域の環境は陶器作りに適し、奈良時代から平安時代にかけて、須恵器の産地として関東地方最大級を誇った。
江戸時代中期(天明3年以前)には自性寺の地に窯が築かれ、最盛期をむかえる。
しかし時代の流れの中、明治38年(1905年)、最後に残っていた窯元が益子へ移り、長い伝統の火が消えた。
青木昇氏は、この貴重な文化を見直し、古窯跡を調査研究、無類の良質陶土を伝統の地内で発見する。
昭和54年、陶房里秋窯を建設、73年ぶりに復興を遂げた。

自性寺焼 里秋窯

渋民焼 しぶたみやき 〔群馬県〕

昭和61年(1986)、今井基支氏と福田陶華氏によって開窯された、比較的新しい窯。
渋川、伊香保の土を使い、中国の陶器を参考に赤の釉薬と粉引、灰釉などの伝統技法で仕上げる。

窯元渋民焼

三毳焼 みかもやき 〔栃木県〕

三毳山周辺では、平安時代より、下野の国、国分寺や国分尼寺の屋根瓦を焼いていた歴史がある。
昭和初期から第二次大戦前までは、20数軒の組合にて、「かめ」、「獅子噛火鉢(ししがみひばち)」、「ほうろく」(豆を炒るもの)、「植木鉢」の生産が盛んだったが、その後、政府の食糧増産のための農地拡張政策に伴い、水田用の暗渠(あんきょ)土管製作に事業の主力が移った。
昭和40年代に入ると、製造元のひとつ栃木製陶が、当時まだ好調だった土管製作に先細りを感じ、見切りをつけ昭和46年に「みかも焼こなら窯」を設立。
平成18年に「栃木県伝統工芸品」に指定、また平成20年には「栃木県伝統工芸士」の認定をうけている。

三毳山麓の鉄分が多い土で焼き上げた、素朴で温かみのある焼き物。
鉄分が多いため、花器類はぬめりが出ず、水が腐りにくく、花が長持ちする。

栃木製陶/小楢窯

小砂焼 こいさごやき 〔栃木県〕

天保元年(1830年)水戸藩第9代藩主徳川斉昭が小砂の地に陶土を発見し、水戸藩営製陶所の陶土として使われたのが興りとされる。
伝統技法として黒釉に黄金色の結晶斑点、俗に言う「金結晶」がある。他にも桃色がかった「辰砂」など、バラエティ豊かな釉薬を使いさまざまな個性を発揮する。

[窯元・作家]
市川窯(市川 勉)
柿窯(関根 茂夫)
藤田製陶所(藤田 真一)
松並陶苑(岡 稔)

益子陶器市 〔栃木県イベント〕

栃木県益子町で毎年2回、春と秋に開催される。
共販センター、陶芸メッセなどを中心に、販売店約50店舗の他、500ものテントが立ち並び、伝統的な益子焼から日常使いの食器、若手作家の作品、美術品まで幅広く販売され、新進作家や窯元の職人達と直接会話を楽しむこともできる。
焼物だけでなく地元農産物や特産品の販売も行われ、春秋あわせて約60万人の人出であふれる。

益子町観光協会
益子焼データベースプロジェクト
益子大陶器市の歩き方
かまぐれの丘
関東焼き物ライナーかさましこ