珠洲焼 すずやき 〔石川県〕

平安時代末頃から室町時代後期にかけて、珠洲郡(現在の珠洲市および鳳珠郡能登町の旧内浦町地域)内で生産された焼き物。

製造技術は、古墳時代から平安時代にかけて焼かれた須恵器の技法を受け継いでいる。丘陵の斜面にトンネル状の窖窯を築き、燃料の量に対して供給する空気を制限する還元炎焼成を行ない、1200度以上の高温で焼き締める。さらに火をとめる段階で焚口・煙道を密閉して窯内を酸欠状態にすることで、粘土に含まれる鉄分が黒く発色、焼きあがった製品は青灰〜灰黒色となる。釉薬は使用していないが、焼成中に降りかかった灰が熔けて自然釉を生じ、独特の景色となっている。

製品は、海上輸送によって北海道南部から福井県にかけての日本海側を中心に広く流通した。14世紀には最盛期をむかえて、日本列島の4分の1を商圏とするまでになったが、15世紀後半には急速に衰え、まもなく廃絶した。戦国の世になり、生産・流通の後ろだてであった荘園領主の力が衰え、流通圏確保が難しくなったこと、また越前窯や常滑窯、備前窯などが分業や窯の大型化により、生産性を向上させていったことに対抗できなくなったことなどが衰退の理由と考えられる。

約400年前に忽然と姿を消した珠洲焼を、1976年(昭和51年)珠洲市が復興した。1989年に石川県指定伝統的工芸品の指定を受けている。


珠洲焼資料館
珠洲焼館
珠洲焼創炎会
珠洲市陶芸センター[陶芸体験]


大樋焼 おおひやき 〔石川県〕

石川県金沢市にある、350年の歴史と伝統をもつ楽焼の脇窯。

江戸時代初期の寛文6年(1666年)、加賀藩5代藩主・前田綱紀が京都から茶堂として裏千家四代目の仙叟宗室を招いた際に、楽家4代一入の弟子であった陶工・土師長左衛門が同道し、楽焼の技法を伝えたのが始まり。
明治維新後、藩の御庭焼から民間の窯元として生業を立てざるを得なくなったことや、明治期動乱の茶道の衰退と重なって苦難の時期を迎えることになるが、後継の門人達、またその門人の子孫の制作活動の結果、飴色釉の特色ある稀有な焼物として全国的に知られるようになった。
金沢市橋場町に十代大樋長左衛門窯、大樋美術館がある。

大樋長左衛門窯/大樋美術館


九谷焼 くたにやき 〔石川県〕

石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器。

鉱山開発の最中、領内の九谷村で磁器の原料となる陶石が発見されたことをきっかけに、大聖寺藩を治めていた初代藩主の前田利治のもとで、江戸時代前期(1655年)に作り始められたが、約50年後に突然廃窯となる。この時期に作られた九谷焼は、後に「古九谷」と呼ばれる。

古九谷の制作中止から約100年後の文化4年(1807年)、大聖寺藩の親元の藩である加賀藩の城下町金沢で、磁器生産が再開される。「春日山窯」「吉田屋窯」「宮本屋窯」「松山窯」など数々の窯が加賀地方一帯に立ち、これらの窯の製品を「再興九谷」という。

明治時代〜昭和時代前期は、窯元の職人たちが作家として自立し、さらには江戸幕府を継承した明治政府の産業振興により、九谷焼の輸出産業が盛んになった。
この時代の名工として、絵付け技術の指導的立場で次世代の作家をリードした竹内吟秋・浅井一毫兄弟、北大路魯山人に陶芸を教えた初代須田菁華、赤絵と金彩による精密な色絵付けで名高い九谷庄三などがある。

昭和時代後期〜現代は、伝統的な美術工芸品としてのブランドを確立した九谷焼が、現代芸術の要素を取り入れて、「工芸品」の枠を超えた「美術品」として制作されるようになる。新たなライフスタイルにあわせた多種多様なデザインの器が生み出されることも、現代九谷焼の特徴といえる。


360年の歴史の中から生まれた様々な絵付け様式がある。

青手九谷(青九谷):緑の色絵の具を印象的に配色して絵付けされたスタイル。見込み(表面の模様)には動植物・山水・幾何模様・名画などが描かれ、素地の余白をほとんど余すことなく、器の表裏を埋めつくす塗埋手(ぬりうめで)で盛り上げて作られ、華麗豪華。
古九谷をはじめ、再興九谷の吉田屋窯、松山窯など、江戸時代の大聖寺藩領内を中心に数多くの名品が生み出された。

色絵 (五彩手):「九谷五彩」と呼ばれる、緑・黄・紫・紺青・赤の色絵の具を自在に活用して絵付けされたスタイル。5色の色絵の具をフル活用することから、「五彩手」とも呼ばれる。器の中央に、作品のモチーフを絵画的・写実的に描く。
古九谷は、中国の明王朝末期から清王朝初期にかけての色絵磁器がモデルになっているとも言われる。

赤絵 (金襴手):器全体に「細描」と呼ばれる細かい描き込みを施したスタイル。赤の色絵の具のほかに、金の飾り付けで華やかに彩られた作品が多い。背景を赤で塗り埋めた器に、金で絵付けしたスタイルは、赤絵のなかでも特に「金襴手」と呼ばれている。赤九谷とも。
京焼の名工・青木木米の指導により金沢の春日山窯で制作された作品がもととなり、その後、宮本屋窯で腕をふるった飯田屋八郎右衛門が細描の様式を確立し、近現代の赤絵作品のルーツとなった。


九谷焼協同組合
石川県九谷焼美術館

[作家]
二代浅蔵五十吉 (あさくらいそきち、1913年-1998年)文化勲章受章者
吉田美統 (よしたみのり、1932年-)重要無形文化財保持者(人間国宝)
三代徳田八十吉 (とくだやそきち、1933年-2009年)重要無形文化財保持者(人間国宝)

[窯元]
鏑木商舗
上出長右衛門窯
きぬや
乾甌窯
九谷光仙窯
九谷古青窯
九谷百万石
虚空蔵窯
大雅窯
浅蔵五十吉深香陶窯
西長峰窯
菁華窯
九谷和窯
ほか

[取扱店/作品]

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